新蕎麦の収穫作業:自然の厳しさと向き合い続ける日々
今月に入り、いよいよ収穫がスタートし、ただいま作業の真っ最中です。現在ようやく3分の1強を刈り取ったところかと思われます。今年の夏は、ものすごく暑かったので不作を心配していたのですが、これまでのところまずまずの収穫量で安心しています。
暑さは蕎麦にとっても大変厳しいもので、あまり暑いと結実が悪く収量が少なくなってしまいます。ですから、これまではお盆過ぎから始めていた種蒔きを8月末に遅らせる方向で検討していたところ、9月の初めにかけての長雨で種が蒔けず大いに困りました。さらにトラクターの故障もありましたし、9月中も引続き雨が降ったので、最後の畑を蒔き終えたのは9月末になってしまいました。9月末に蒔いた蕎麦は11月末から収穫予定となります。
夏が暑くなったとはいえ、季節は巡り冬は必ずやってきます。暖冬とはいえ11月末頃には霜が降りることもあります。蕎麦は霜に当たると一発で枯れてしまいますから、これもまた心配の種です。
これから先の畑がどうなるかと心配は尽きませんが、たくさん穫れるところもあればそうでないところもある。なるようにしかならぬのなら気にしても仕方がないことです。
さて収穫作業ですが、幸い機械のトラブルもなく私もストレスフリーでやれています。作業そのものはコンバインがバリバリやってくれますから、私の仕事はコンバインの操作です。真っ直ぐちゃんと進んでいるか、刈刃の高さは適正か、障害物はないか、といったことを要所要所で気をつけなくてはなりませんが、一人作業ということもあり、つい物思いにふける事もあります。
「人は蒔いたものを刈り取る」農業と人生の教訓
今年は、蕎麦栽培を始めて15年目です。以前も書いたかもしれませんが、不作が何年も続いてずいぶん悩んだ時期がありました。あの頃は「毎年これでダメならもう手はないぞ」というくらい考え抜いた新たな試みと共に種を蒔いたのに、無情にも絶望と共にわずかな収穫を得る。そして一年後、もう手はないと思っていたけど不思議とまた新たなアイディアが捻り出し種を蒔く、そしてまた裏切られる。いつまでも出口が見えない中、うまくやれない自分が悔しくて情けなくて、農業に向いてないんじゃないか、と諦めたくなったりしたものです。
しかし、一昨年の秋、それまでの工夫や努力がまさに実を結び、ようやく豊作に恵まれました。この時は本当に嬉しくて嬉しくて涙が出てしまいました。長く辛い思いをしたせいもありますが、偶然ではなく必然としての結果が出せたことがことさらに嬉しかったのです。
でも翌年、こんな感じでやったらいいのかな、と分かった気でいたらまた収量が減ってしまいました。天候の影響はもちろんありますが、何事も一筋縄ではいかないようです。これまで通りに積み上げていくしかありません。
そんなことを思いながら作業していると、ある言葉を思い出しました。
「人は蒔いたものを刈り取るのです」
人生で起こることは、全て自分がこれまでやってきたことの結果ということですが、つくづくこの通りだなあ、と感慨深くなります。
そうしたら、これまでの自分の人生のいろんな場面が思い出され、またしてもうるっときてしまいました。一人で何やってんだ、と我に返りつつ泣き笑いです。
私、のどかですね。今日もありがとうございます。
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