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今日も生きる

親しいお客さんの訃報

去る7月24日、馴染みのお客さんが急逝されました。ご家族からのご連絡に全く合点がいかず、誰がお亡くなりになったのか聞き返したくらいでした。享年54歳。その時初めて私と同い年だと知り、驚きと共に切なくなりました。

その方のインスタ投稿で印象的だったのが「暑い日が続いてます。仕事の人もそうでない人もこまめに水分補給忘れずに、今日も気をつけて頑張りましょう」というものでした。見ず知らずの人にまで広く気遣いをされていることに大変お優しい方だ、と尊敬の念を抱いたものです。まだまだ現役世代、夢や希望もたくさんあっただろうに、と思うと自分事のように無念が込み上げます。

人生の葛藤と感謝

冬のそば畑

私事で恐縮ですが、最近人生について考えます。何のために、何をしに生きているのか。正直に申しますと、生きることが嫌になることもあります。やりたいことをやれる体と力があるにも関わらず、不満を並べ感謝することなどとてもできなくなります。そして、感謝できないことを責める自分、それでもやっぱり感謝できない自分に呆れてまた責める。そんな時は決まって、仕事も滞りがちになり、すぐ疲れてしまいこなせる量も減ってしまいます。そしてまたそんな自分を責める。そんな堂々巡りに陥ることも少なくありません。甘えているからだ、と言われればそれまでですが、これもまた偽りのない私です。

そんな一面を持つ私ですが、もちろん希望に燃え目標に向かって迷いなく突き進むことができる時もあります。そういう時は、やるべきことはどんどんできますし、少々の疲れも苦になりません。また充実した日々に感謝の念も忘れないものです。

うまくいっている時は、悩みなどないものです。そして充実した日々に感謝し幸せいっぱいに過ごす。しかしながら、そんな時は、自分と向き合うことが少ないように思います。

谷間の時期に、なぜ生きているのかといったことに悩み葛藤します。葛藤するからこそ、じっくり自分と向き合うことができるように思えます。すると無駄に過ごしているように思える日々もまた、ちゃんと生きているということではないではないのか、と思えます。そうすると、そんなに自分を責めるものじゃないな、と思えてきました。

一般に「人は生かされている」と言われます。私には、一体何に生かされているのか分かりませんが、自分で命を絶たない限り自分で死期を決められないのですから、生かされているというのは間違いないと思います。

どんなに落ち込んでも、生かされている限りは生き続けよう、と改めて思いました。今日もありがとうございます。

広瀬清則様のご冥福を心よりお祈り致します。

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