神仏への供物から人への労い〜貧困の山奥で産声をあげた蕎麦切り〜

合理主義者の問い。なぜ「切る」のか?

蕎麦のルーツを辿る旅。その第一部では、奈良時代から平安時代にかけて、穀物を粒のまま食べる「粒食」から、粉にして食べる「粉食」への変化を辿りました。続く第二部では、平安時代から鎌倉時代にかけて、「粉食」がいよいよ「麺食」へと進化していく歴史を紐解きました。
生地を捏ね、一本一本丁寧に丸く延ばして作る手延べ饂飩。そこから日本の職人魂と探究心が極細の素麺を生み出し、ただの保存食を「美食」へと昇華させました。しかし、これら初期の麺はすべて「手延べ」で作られていたため、大変な時間と手間がかかるものだったのです。
時間と手間。意外かもしれませんが、これは私が最も避けたいことです。「自家栽培・自家製麺」の蕎麦屋を営む者が何を言う、と思われるかもしれません。しかし私は、合理的かつ効率最優先のタイプ(なはず)です。味のためには何年だって惜しみなくかけますが、無駄なことには1秒だってかけたくありません。省ける手間があるなら、惜しみなく省きます。
ですから、私ならこう考えます。チャチャっと作ってすぐ食べたい、と。当時の人たちも、小麦粉を水と塩で捏ね乾麺を作るうちに、ふと思いついたのでしょう。
細く伸ばさず、長くではなく、横に延ばして切ればよくない?
乾燥など待たずに、すぐ茹でて食べてもよくない?
といった具合です。
しかし、当時はまだ形にならない人々の思いを乗せて、時は流れ、時代は鎌倉から室町へと変わります。そして、室町時代のある日、ついに「麦切り」が誕生します。小麦粉を水と塩で捏ねてできた生地を棒で延ばし包丁で切る。麦の生地を切るから、「麦切り」です。
それまでの丸い断面のうどんから、四角い断面のうどんに変わった瞬間です。
切って茹でてすぐ食べる。これこそが、現代の私たちが見慣れたうどんそのものです。時間と手間を省け、生麺ならではのもちもち食感も味わえる、手軽で美味しい画期的な発明となったのです。

五穀の外側。命を繋ぐ「どん底」の作物

さて、本命の蕎麦ですが、食べ方や調理法の前に、当時、蕎麦とは作物としてどのような位置付けだったか見ていきます。蕎麦は、飢饉や天候不順から人々の命を救う、いざという時のための「救荒作物(きゅうこうさくもつ)」でした。蕎麦の最大の特徴は、種を蒔いてから収穫までの期間が約70〜80日と非常に短いことです。
そのため、「日照りや冷害、台風などで今年の稲や麦は不作だ」と分かってから慌てて種をまいても、冬が来る前のギリギリで収穫が間に合いました。また、蕎麦は非常に生命力が強く、乾燥した土地、寒冷な山間地でもよく育ちます。平地が少なく、米を作るのが難しい山奥の村々において、蕎麦は日常的に命をつなぐための貴重な主食(炭水化物源)として作られていました。
さらに、蕎麦は当時の重い税(年貢)の対象である、五穀(米・麦・粟・稗・豆)から外れていたため、農民たちにとって、「自分たちで自由に消費できる貴重な備蓄食糧」だったのです。
当時の農民たちの蕎麦の食べ方は主に2つです。蕎麦を杵と臼でついて殻を剥き、炊いて粥として食べる。同じく杵と臼でついてできた粉を水で捏ねて、蕎麦がきで食べる。また蕎麦の殻は硬く剥きにくいため、殻混じりのままジャリジャリ食べるという、大変苦痛を伴うものでした。

1574年の「無い無い尽くし」

今のように、美味しく食べるのではなく、飢えを満たすためにひたすら食べる、そんな食べ物だったのです。それでも、蕎麦を作り続けて食べたのは、他に食べるものがない、という当時の農民の厳しい現実があったからです。そのようなわけで、蕎麦は貧しいものの食べ物と、蔑んだ時代もあったようです。
時は1574年、ついに今の長野県木曽地方の山深い寺で、蕎麦の新たな食べ方が考案されます。「蕎麦切り」です。当時、この寺の門の修理に集まった大工や村人を労うため、何か食べ物を振る舞いたい、と僧たちは考えたのでしょう。しかし現実は厳しく、
米はねえ。
麦もねえ。
なんにもねえ。
…本当に、何にもなかったんです。
あるのは、蕎麦だけでした。
そこで、僧たちが必死に考え抜いて、麦切りを参考に思いついたのでしょう。蕎麦粉を水で捏ねて広げて包丁で切る。もともと生地が切れやすく麺にならないから、形が崩れないように茹でずに蒸す。こうして、誰もが食べ飽きた蕎麦から、革新的な麺のようなものができました。

出来上がった蒸し蕎麦

高貴な「白」と、切実な「黒」

さらに、寺には石臼があったはずです。石臼で蕎麦の実を挽けば、殻の混じらない上質な粉が作れます。そしてその粉で作った蕎麦切りは、とても滑らかな食感となります。この麺もどきの「蕎麦切り」がいかに画期的であったか。そして集まった民をいかに喜ばせたことでしょうか。
当時、「麦切り」とは時代の最先端の高級品です。白き麺は、神仏に捧げられる高貴で崇高な供物をルーツに持ちます。農民などは、一生口にできないような贅沢品であったはずです。小麦ではなく蕎麦に代わったもどきではあれ、なめらか食感の麺を振る舞われたなら、食べた者は皆感動して喜んだに違いありません。
私も試しに蒸し蕎麦を作ってみましたが、茹でた麺のように水をたっぷり含まないため、香り高く、噛むほどに甘味が増し、蕎麦の味をとても色濃く感じられるものでしたが、現代の茹で麺を知っている身の私としては、蒸し蕎麦はパサパサしていて、決して美味しいと感じるものではありませんでした。

神仏への供物として生まれた高貴な「麦切り」とは真逆で、切実なる事情と人々への感謝の想いから生まれた「蕎麦切り」。出自の違いを見ても、両者に感慨深いものを感じます。
こうして生まれた、蒸し料理としての蕎麦切りは、その時代の新しい食べ方としてじわじわと世に浸透していきます。

次回は、蕎麦が底辺だった時代から、いかにして日本人のソウルフードへと成り上がったかを紐解いていきます。題して「蕎麦の下剋上物語〜江戸患いと救世主蕎麦〜」です。
今日もありがとうございます。

蕎麦のルーツを辿る(第1部)はこちら
蕎麦のルーツを辿る(第2部)はこちら

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